台東区谷中と根津神社探索
我が生誕地谷中初音町を訪ねる
4月30日                小川武&恭子

 

 私の「へその緒」の入った小さく汚い桐の箱を見つけた。
 箱の裏側に私の出生に関する情報が書かれている。
  ● 両親の名前と年齢(省略)
  ● 小川 武
  ● 昭和13年4月9日 午後5時誕生
  ● 体重:八百八十匁、身長:一尺七寸
  ● 地生:下谷区谷中初音町四ノ一八五

 




 ところで出生した住所には「下谷区谷中初音町四ノ一八五」とあり、戸籍謄本にも「東京市下谷區谷中初音町4丁目百八拾五番地」と表記されている。そこで東京都台東区で「台東区の旧町名について」のMAPと現在のMAPを並べてみた。



旧町名のMAP

現在のMAP

 1945年(終戦の年)、日本地図株式会社発行の「戦災焼失区域表示 帝都近傍図」によると谷中初音町4丁目(は生地付近)は消失している。南側の駒込林町、天王寺町、千駄木町、根津は戦災を免れている(は根津神社)。

 よし! 我が生誕地を見てやろう!


 
 4月30日、恭子と二人で西日暮里駅にやって来た。
 現在の地図を頼りに谷中3丁目25を目指した。日差しは強いが吹く風が気持ちいい。
 権現山通りを北に渡ると静かな住宅地があった。恐らく昔は典型的な下町だったのだろうがその面影はない。辺りを一周して腹に落とした。

辺りは静かな住宅街だ

高級マンションが2棟建っていた

 折角、日暮里に来たんだからと根津神社まで歩くことにした。
 道灌山通りを南側に渡って「よみせ通り」に入ると昔の面影を残した商店街になっていた。人通りはぼつぼつ少しずつ増えてきた。右手に「すずらん通り」を見ながら進むと人だかりがしている。「谷中ぎんざ」であった。
 狭い路地に人がごったがえしている。外国人がラフな姿で歩いている。揚げ物屋さんの前は人だかりで通れないくらいだ。みんな紙に包んだコロッケなどを頬張っている。まさに「下町」そのものだった。

延命地蔵尊

すずらん通り

よみせ通りを歩いて行くと・・・

谷中ぎんざ

 谷中ぎんざの雑踏を離れて、小さな路地を行くと「岡倉天心宅跡」の横に「旧町名由来案内」の標識があった。

 町名は、本町内に鶯谷と呼ばれるところがあったことから、鶯の初音にちなんで付けられた。初音とは、その年に初めて鳴く鶯などの声のことである。

 谷中初音町は、はじめ一丁目から三丁目として誕生した。明治二年(一八六九)のことである。そして同四年、江戸時代から六阿きょう彌陀横町または切手町といわれた武家地が初音町四丁目になり加わった。さらに同二十四年、初音町四丁目は谷中村、下駒込村、日暮里村の一部を合併し、ここに初音町としての町域を確定した。

 千駄木方面に向かって路地を歩いて行くと自宅のガレージに瀬戸物やガラス器を並べてある。ガレージセールかと思い、近づいてみると「ご自由にお持ちください」と書いてあった。気に入った蓋付小鉢と可愛い小鉢3セットを頂いた。新聞紙とビニール袋も置いてあり、至れり尽くせりだ。外国人の女性が熱心に見つめていろいろ袋に詰めていた。

ご自由にお持ちください(Free)

熱心に選んでいる

小鉢3つ

← 蓋付小鉢

 30分ほど歩いて千駄木を過ぎ、「根津神社」北口から境内に入る。屋台が犇めき、こちらもまともに歩けない。


根津神社の北口

屋台は一体幾つあるのだろう

 根津神社は10年以上前、ツツジを見た記憶があるが、屋台の記憶は残ってない。屋台があると云うことは今日も「つつじ祭り」なのだ。それと乙女稲荷神社の千本鳥居も見て観たい。

まだツツジは残っていた

参拝者が延々と並んでいる

乙女稲荷神社

千本鳥居は延々と続く

 肝心の根津神社は参拝の人で長蛇の列。お参りは諦めた。

 帰りは日暮里駅まで歩くことにした。途中、大鳥屋の「鴨南せいろ」で腹を満たした。鴨の肉にコクがあり、とても旨かった。

鴨南せいろは外せない

夕焼けの名所だそうだ

 再び谷中銀座にでて、「夕焼けだんだん」で振り返りながら日暮里駅まで歩いた。駅前の下御隠殿橋からみる鉄道線路は「日暮里トレインミュージアム」と呼ばれる観光スポットだ。高架下の電車が行き交う風景に鉄道ファンがカメラを構えて並んでいる。

下御隠殿橋のカメラマン

12本の線路が並んでいる

 歩行距離:8.5km 歩数:13,165歩 疲れました。