リベンジを完全に果たしました
チバニアン龍角寺古墳群
4月12日〜13日           8名 

 

 今年1月24日に龍角寺古墳群、25日にチバニアンを訪れようと計画したが、前日の大雪で平井車が渋滞で走れず、急遽、全員電車に切換えて西船橋駅で落ち合い、直接、岩井保養所に行くことになった。25日は車がないのでチバニアンを諦め、電車で成田に向かい、龍角寺古墳群だけを見ることにして内房線に乗った。だが、早朝に横須賀線で人身事故があり、これが乗り入れしている総武線に及び、千葉・房総線にまで大幅な遅延を起こし、12時近くに千葉駅にやっと着いた。そんなことで龍角寺古墳も諦め、解散したのであった。

 そして、今回は東船橋駅集合で企画通り、素晴らしい2日間を過ごすことができた。
 渋井さんの綿密な計画により、24日は佐倉の国立歴史民俗博物館で丁度開催している特別企画展「世界の眼でみる古墳文化」をみて、古墳の知識を深めたうえで龍角寺古墳群を訪れるというベスト企画なのだ。ただ、佐倉市(歴史民俗博物館)、南房総市岩井(保養所)、市原市田淵(チバニアン)、そして印旛郡栄町(龍角寺古墳群)を車で走り回ることになる。今回も平井さん、渋井さんにはお世話になった。

千葉房総を走り回る

 10時30分、東船橋駅南側に集合だったので22分についてトイレを済ませて改札を出ると松原さんが待っていてくれた。すでに全員が着いていて私たちが乗り込むとすぐに出発となった。京葉道路から四街道、佐倉と走って国立歴史民俗博物館に着いた。ただ、博物館の前の交差点で工事があり、右折に大分時間がかかった。

 11時25分、まだ時間が早いので昼食前に企画展の「世界の眼からみた古墳文化」を見ることにした。


企画展パンフレット

企画展示室レイアウト

 現在、私たちは古墳探索に精を出している。2月には大阪・堺市の百舌鳥古墳群を訪れ、日本最大の「大仙古墳(仁徳天皇陵)」などを見てきた。昨年5月には奈良を訪れ、纏向古墳群や飛鳥の古墳などを見てきた。従って、この企画展示は誠に当を得たもので見るべきものがあった。
 古墳とは日本特有の墓丘だと思っていたが、世界には各所に巨大な墳丘が存在していることも教えられた。
 まず展示室Aの第1章「王権とモニュメント」から。権威を象徴するモニュメントとして、日本における古墳は代表格といえる存在だ。

北アメリカの古代土盛り(web)
 私は「ワカタケル命(?)の黄金剣」が目を惹いたが撮影禁止だったのが惜しかった。

 第2章「王と墓:権威と象徴性」では、世界5地域(中南米、北米、ヨーロッパ、韓国、中国)の先史モニュメントと、日本の古墳を比較。日本にある古墳は約15万基。大規模な墓がつくられる一方で、城や都市がほとんど発達していないのは日本の特筆だ。
 第3章は「古墳時代の王の姿」。古墳の副葬品や埴輪などから、祀られた人の姿に思いを巡らせている。
 ユニークな試みが、第4章「古墳へのまなざし」。現代のアーティストが古墳時代に向けるまなざしとして、『機動戦士ガンダム』で知られる安彦良和さんによるオリジナルイラストが展示されている。時代考証に基づいた作画は制約がありそうですが「意外に楽しかった」という事です。帰宅後、市立図書館の蔵本をネットで調べたが、貸出禁止になっていた。残念!
 第5章は「古墳を見る「いま」の眼」。古墳の調査研究などを紹介しているが、これは展示室Bに続いている。

 女性陣はさっさと展示室Bも見終わっていたが、男組はやっと展示室Aを終ったところ。博物館内のレストランで昼食を摂ることにした。レストランは昼時で混んでいた。だいぶ待って女性組4人が先に席に着き、時間をおいて男性組も席に着いた。私は「古代カレー」を食べた。別に旨いものではなかった。食後のコーヒーがなかなか来ない。女性陣はすでに支払いを済ませて出ている。


熊本県千金甲1号墳石室の実物大模型

 店員は忙しく走り回っているがコーヒーは来ない。しびれを切らせて、コーヒーをキャンセルしたが、女性陣もレストランの外でしびれを切らせてソフトクリームを食べていた。男性陣を哀れんだのか祐子さんがリンゴを配ってくれた。

 展示室Bは、薄暗い会場。6世紀装飾古墳をリアルに感じてもらおうという趣向で、奥にあるのは、熊本県千金甲1号墳石室の実物大模型。石室内の装飾壁画が鮮やかに浮かび上がるが、暗すぎて良く見えない。展示なのだから説明文が読めるくらいの照明は必要だろう。


来年3月まで閉室されている

 常設展示の第1展示室はリニューアルのため、閉室しているが「先史・古代」なので本来なら一番見たいところだ。残念だが、その代わりに「企画展示」があったのだろう。

 一旦、エントランスに戻って、第2展示室に向かった。広い博物館をかなり歩いて展示場に入った。第2展示室は「中世」の(平安時代-安土桃山時代) 王朝文化 / 東国と西国 / 大名と一揆 / 民衆の生活と文化 / 大航海時代のなかの日本 / 印刷文化などを扱っていた。王朝文化では日記のから文字、カタカナへの変化など興味深かった。
 広い第2展示室を出て、第3展示室に向かう。ここは「近世」(江戸時代)の 国際社会のなかの近世日本 / 都市の時代 / ひとともののながれ / 村から見える「近代」/ 絵図・地図にみる近世 / 寺子屋「れきはく」などが展示されていた。寺子屋には係員が居て関心ある人を待っている様子だが時間がかかりそうで通り過ぎてしまう。レンズ眼鏡で覗く「からくり寄席」が目を惹いた。他に近世の日本でつくられた世界図や日本図から当時の日本人が広い世界をどう見ていたのかが感じられる展示であった。

 第3展示室を出るとみんなが待っていた。残りの第4展示室以降を見るとあと3時間以上かかると云うので今回はここまでとした。

 館山自動車道をひたすら走って16時40分、岩井の「南房荘」に着いた。18時から夕食なので風呂に浸かる。車に乗っていただけなのに身体全体に軽い疲れが残っていたが、いいお湯で疲れが抜けていく。夕食は「房総会席料理」だ。


1月のときもスタッフの女性にシャッターを押して貰った

 全員、ビールで乾杯して会席料理を頂く。


前菜

ヒラメの薄造り

ダルマイカの刺身

中とろと赤身のお造り

伊勢海老の浜焼き

鯛の煮物

 ヒラメの薄造りは敷物のグレープフルーツの香りが僅かに移って美味である。イカのお造りはねっとりして舌触りが良く、名前を聞いたら、板さんに確認して「ダルマイカ」だと教えてくれてくれた。ダルマイカはケンサキイカの季節型で、正式名称はヤリイカ科のブドウイカと呼ばれるそうで、典型的なケンサキイカに比べ胴が丸みを帯びていることや、体長が赤いので、ダルマイカと呼ばれているらしい。

4月13日(晴)
 朝日が部屋のカーテンを照らして、6時30分に目を覚ました。8時の朝食時間には早いのでのんびり布団を畳んだりして時間を費やした。8時前に食堂に行くと、福島さんと恭子は朝早く海岸に出てみたが富士山は見えなかったらしい。やはり春霞なのだろう。


寄せる波も穏やかだ

朝日は昇っていた

 9時に保養所を出発して「チバニアン」に向かう。養老渓谷は房総半島を縦断しているが平井さんの話では渓谷の流れは北に向かっている。つまり東京湾に向かって流れていると云うことだ。その渓谷の中域、市原市田淵にある。木更津から首都圏中央連絡自動車道(松尾横芝~木更津)を東進して市原鶴舞ICから高滝湖を通過して清澄養老ラインを南下する。この辺りの道順は自信がない。市原須田淵の「チバニアン」駐車場に着いた。
 3月に整備してくれた駐車場には47台分の広さがある。まだ10時少し過ぎで駐車している車は2,3台だ。隣にはちゃっかり売店もできていた。そこにいた男の人に聞くと今日の渓谷は水嵩も少なくスニーカで大丈夫だそうだ。でも、平井さんと渋井さんは折角長靴を用意したので履いて行くと云う。私は簡易靴底滑り止めを持って来たが置いておくことにした。
 渓谷までの道は案内板も付いているので迷うことはないが、かなりの急坂であった。
 渓谷の底に着いて辺りを見渡すと事前に調べておいた光景が目の当たりに広がっていた。


広い駐車場が整備されていた

急坂を下ると・・・

渓谷の水辺に出た

地磁気逆転換の地層と案内されている

現地パンフレットと比べてみる

地層を間近で見ることができる

下層から赤杭、黄杭、緑杭と続いている

試掘した穴が幾つも残っている

 地磁気逆転の証拠として、養老渓谷のこの壁面地層の地磁気を測定したとあるが、根本的疑問がある。

  1. 壁面の土壌を試掘してサンプルを取り出すが、どのように帯磁した地磁気を測定するのだろうか。ネットで調べても分かりやすい情報が見つからなかった。
  2. 松原さんの素朴な疑問として、過去の地磁気逆転した地層も現在の地球の磁場に晒されているのだから、逆転層も時間が経てば現在の磁気の方向に揃ってしまうのではないか。

 浅学菲才な私には次々と疑問が連鎖する。だから興味は尽きないのだ。
 今年、ユネスコの機関である国際地質科学連合(IUGS)で正式に認定されれば、チバニアン(千葉時代)が決定される。早くその朗報を聞きたいものだ。

 11時にチバニアンを離れて、龍角寺古墳群を見学するため、北上して成田飛行場に近い印旛郡栄町龍角寺の「房総のむら」に着いた。凡そ1時間半もかかった。


房総のむらMAP

 上図MAPの中央下のP駐車場に車を停め、近くの地域交流拠点にあるレストランに入った。まずは腹ごしらえである。今日もハヤシライスを食べた。
 食事を終わって自動車道を跨いで(106)みそ岩屋古墳を見た。7世紀後半の方墳で一辺が35m、高さ4.7mの三段築成である。なぜ「みそ」が着いているのが分からない。
 かなり大きな方墳だが、その周りに沢山の「庚申塔」があった。ここは龍角寺の旧参道だから信仰の対象だったのだろう。
 旧参道を南に歩いて十字路を左に折れると(105)岩屋古墳があった。手前に(104)方墳があるらしいが樹木に覆われて良く分からない。岩屋古墳は方墳で一辺が78m、高さ13.2mの大きさがある。


(106)みそ岩屋古墳

岩屋古墳への分岐路

(105)岩屋古墳が見えてきた

玄室の入口の石は貝殻石

青空の下、記念写真

 旧参道に戻って西の広場に行くと旧学習院初等科正堂が静かに建っていた。周りに繁ったツツジの花の色が眩しい。その向こうに(101)復元古墳があった。綺麗に復元され周りに埴輪を配置した円墳は経24.1m、高さ3.6m、二重周溝の典型的な形をしている。周囲の道を歩いて廻ると一部途切れていたが強引に一周した。埴輪は逆光だったが雰囲気は良く分かった。


旧学習院初等科正堂

復元された101号・円墳

背後の埴輪は小さく見える

 一旦、駐車場まで戻り、車で「風土記の丘資料館」まで行った。65歳以上は無料なので各自身分証明書を受付で見せて展示室に入った。写真撮影の是非を聞くと“個人で使用するなら結構ですよ”と返事があった。これが本来の対応だろうと思った。


風土記の丘資料館

展示場内を見て周る

101号から出土した埴輪(本物)

こちらも出土品


古墳広場を散策する

 資料館を出て目の前の「古墳広場」を散策した。ここには大小合わせて30墳ほどまとまっている。前方後円墳、円墳が多いようだ。
 今回の古墳散策はこの程度で納めた。房総のむらには龍角寺古墳が117墳墓も存在しているという。機会があればまた訪れてもいいだろう。

 これですべての予定を周って、集合場所の東船橋駅に帰ることにした。
 途中、小湊鉄道と並行に走ったとき、単線の軌道幅がやけに狭いように思えた。でも踏切で軌道の上を通過した際、じっくり眺めたら普通に見えた。帰宅後、ネットで調べたら小湊鉄道もJRと同じ1,067mm(狭軌、日本では標準軌道)と書かれていた。目の錯覚だったようだ。

 2日間、天候に恵まれ完璧のリベンジを果たしたことになる。今回も平井さん、渋井さんの安全運転に感謝である。ありがとうございました。

旅 人

松原 業

小川 武

平井義雄

澁井栄蔵

小川恭子

澁井祐子

福島桂子

高橋良子


写真:澁井,平井、恭子,小川